なるほどと思う地名(その2)

​堺と丁

前回は、大和から見て向こうの山「六甲山」を紹介しましたが、八世紀中頃には、大和に加え、山城、和泉、河内、摂津の五か国を五畿内として特別の行政区域としていたようです。

そのうち、和泉、河内、摂津の三国の境に位置するのが現在の堺市です。ちなみに境は区切りそのもの、堺は区切られてできた二つのものという使い分けがあるようです。そして、堺市の市章は市名の由来を受けて、漢字の「市」を三つあわせたものとなっています。なるほどですね。

その堺市ですが、町名にも特色があります。一般的に「○○1丁目」という地名が、堺市(美原区以外)では「○○1丁」となっています。明確な資料はないようですが、江戸時代の「元和の町割り」にその由来があるそうです。堺の町は1615年大阪夏の陣で全焼し、徳川家康によって南北の大道筋、東西の大小路通を基軸として、碁盤の目の形に町割りされ、整然とした町となりました。町の数は多いときで400近くにも及んだそうで、覚えにくいので、南北の大通りに面した町名と縦筋の通り名とを合成して通称としていたようです。それでもわかりにくいので、明治の町名改正で、当時の町組(連合自治会)を生かして、大道筋に面した町名をもとに、東側は○○町東1丁、東2丁、西側は、○○町西1丁、西2丁、と変更されたそうです。その際、従来の独立した町が東1丁や西2丁に変わったため、「町」と「丁」は同格であることを示すため、丁目ではなく「丁」としたそうです。これもまた、なるほどですね。

成熟した都市において、街の形を大きく変えるには多大な時間と費用が必要です。今の形を活かしつつ、新しい機能を付加していく工夫が必要ですね。